2017年3月14日火曜日

163.5/61

新しい傾向のタイトルをつけてしまいました。なにを指しているでしょう?僕の身長と平均体重です。でってゅう、という感じですかね。中身は何も新しくないという……。少し太ってしまった、という話をしたいのです。現在62.5kgあります。やってしまいました。土日スキーに出かけて、宿でのんびりしたせいでしょうね。結構疲れたんですけど。スキーというのは有酸素運動じゃないから、カロリーを消費しないんだと思います。

 昔から痩せているわけではありません。お腹が出やすいたちなんです。それ自体はとてつもなく嫌だ、というわけではなく、ちょっとは仕方ないかな、くらいの感じ。嫌なのは自分の平均体重から逸れてしまったことです。直接どうこう、というわけではありませんが、身体が重く感じてしまって、気持ちが悪いのです。武井壮が「自分の身体を思い通りに動かせるようにすればスポーツがうまくなる」的なことを言っているのは有名な話だと思いますが、僕も全く同感です。身体が重いと、これをするための最低条件も整っていませんもんね。

 大体食べ過ぎるとやはり気分が妙な感じになります。僕の好きな作家の森博嗣さんは、空腹のときの方が調子が良いそうで、食事もあまりとらないそうです。僕もその境地に達したいと思いつつまだできていません。お腹が減るとふらふらしてしまう凡人です。ただ、胃に少しだけ食べ物を入れておく感じが僕には合っています。空腹を感じたらすぐ軽く食べられる状況が好きです。そういう空間に常に自分を置いておきたい。そうすることで一番良い結果が得られると分かっているからです。ただ、随分とぜいたくかつ不自然な嗜好ではありますよね。古来食事なんてのはいつとれるか分からない不定期なものだったのですから。僕は傲慢な人間です。

2017年3月12日日曜日

I'm not such a person

 前回の投稿を見返してみたら、全然いつもの文字数に足りていなかったことに気づいて少しショックを受けています。カナシイ。いつもWordで下書きをして、それを投稿しているんですが、前回はスマホアプリ版でやったのです。文字数がリアルタイムで画面に表示されないので、自らの感覚を信じて投稿した結果がこれですよ。なにが「字数が割と目標に達した」か……。2割くらいも足りてないですよ。自分のことなんて信用できませんね。

 今回のことは一例で、実は大体いつもそういう風に思っています。何をやっていてもそういうことを考えてしまうというか。例えば、誘われて遊びに行っても、途中でつまらないなと思ってしまったり。自分の判断で楽しいと思って、予定を決めて行ったくせにね。失礼な話です。僕がつまらなさそうな顔をしていて、もしそのせいで気を遣わせた人がいたら、今この場を借りて謝罪させて頂きます。申し訳ありません、あなたのせいではないですよ。<(_ _)>

 他にも色々例は出せるでしょう。こうすればうまくいく、と思って答えたことが相手の期待に沿うものではなかったり。この道を進めば最短で目的地にたどり着けると思ったのに、結果的には遠回りだったり。人間の判断なんてその程度のものでは。ただ、忘れてはならないのが、それら全部自分の責任で考えて決めたことだということでしょう。そういう時に外の物事や、他人のせいにするのが一番最悪です。実態を見ない、嫌な人間になり下がってしまいます。
 

 あまねく物事は全て自分に関わります。縁とか、輪廻とか、案外大げさなつくりごとではないのでは?100%外のせい、ということはないと思います。程度の差こそあれ多くのことは自分のせいで、だから多くのことはうまくいかないものです。この程度の自分がかかずらってしまっているんですから。新聞で読みましたが、安全保障理事会の会合で、現在世界で約二千万人以上の人が飢えに苦しんでいることが発表されたそうですよ。今日食べ物を捨てませんでしたか?

2017年3月10日金曜日

書く、積もる。同じことが

 ブログを書く前はある程度ネタを探して考えます。何も考えずに書いた方が筆は進みますが、あんまり意味がなくなると思うからです。作業の価値という意味ではなく、文章自体に。ニュースサイトをチェックして、Twitterのタイムラインを眺めて、その日あったことを思い返します。だいたいこの順番。自分の遠くであったことから、近くであったことに近づいていくわけです。離れた場所で起こった出来事が、自分の身の回りに通じている点を見つけたりして。そういうものがネタになるし、勉強になります。

 見つける、という表現をしましたが、なくしていたもの・隠れていたものを発見したような小気味よさを感じられるのです。生活を楽しくするのはそういう気持ちよさではないでしょうか。友人と遊んだり、飲みに行ったりするのも、少し種類は違うかもしれませんが、同じようなものだと思います。人との交わりに、楽しい気持ちを見つけに行っているのでは。

 つらつら書いてしまいました。字数が割と目標に達したので、今日はこの辺にしましょう。ニュースに絡めて書くんじゃないのかって?いやあ、そうやって探すというだけの話で……。清水富美加の出家のことでも書きましょうか?(全然関係ない)

2017年3月8日水曜日

ハッピー・キャッチー・オピニオン

 前回の話題が少し暗かったので反省しました。読んで楽しいものではなかったような気がします。そんなつもりではなかったのですが。ブログやエッセイなどというものは概してふわりとして気楽なものが良いでしょう。元来がそういう読み物ですから。読者の方はそういうつもりで読むのだから、作者もそれに沿うのが道理。ユーザーの希望をなるべく汲み取るのが生産者の責任だと思います。この観点からはやはり少々失敗でした。なので今後はイージーなことを書きます。(宣言)

 さて、今日新しい曲を知りました。これです。





  NakamuraEmiの「大人の言うことを聞け」。友人に最近ハマっている曲は何?と尋ねたら教えてくれました。アーティストのNakamuraEmiさんはオフィス・オーガスタの久々の新人としてかなりプッシュされています。メジャーデビューアルバムから少し間があったので忘れていましたが、新譜としてこの曲を出すようです。あまり耳馴染みがないタイトルと、アップテンポすぎないメロディがとても印象的ではないでしょうか。しかもちょうど今日発売!(レコード会社の回し者並みの発言)
 


 このように、自分がおろそかにしていたものを人から教えてもらえると、目を覚ましてもらったかのような気持ちの良さがあります。自分で気づける方が快適ではありますが、他人から提案してもらえるとより痛快です。自分以外の視点の価値とはそういった場所にあるでしょう。僕が友人を大切にするのは、その労苦に見合うこの価値を与えてくれると思うからです。決して善意や生来の気持ちだけではありません。それほど良い人間ではないですから。他人の価値と自分の凡庸さに自覚的でありたいです。そういう気持ちが世の中を平和にし、自分を成長させてくれるでしょう。

2017年3月6日月曜日

骨髄バンクに口座開設(違う)

昨日、土曜に出かけた時に献血に行ったという話を書きましたが、この時骨髄バンクにも一緒に登録しました。前からやろうと思っていたからです。最初に思い立った時には、検眼登録も行いました。マイナでしょうか。死んだら網膜を白内障の人に寄付するというものです。このほかにも、献体登録をしようと思っています。これはもう少し有名でしょう。登録すると、死後に病院での医学生の実習解剖用に身体を使ってもらえます。こんなにたくさんやっているのは最近のことです。どうせやるなら徹底的に、というのが僕のモットーなので、やり始めたら良いキリを見つけられなくなってしまいました。

こんなことに僕のような若者が関心を持つことは、人からは不審に思われるかもしれません。多くの場合、こういうのをやりたがるのはお年寄りではないでしょうか。他の言い方をすれば、死期を感じた人。別に老人が常に自分の寿命のことを考えているとは思っていません。ただ、死が近いことを悟ったら、自分の身体を有効に使ってほしいと思うのではないか、という推測です。過去の悪事の罪滅ぼしになるとか思ってしまったりして。いよいよ決めつけ。

僕自身もそんなに高い志をもって登録しているわけではありません。僕は単に、自分の身体がモノであるということを確かめたいのです。他人の身体に入っても活動可能な、代替できる部品の集合体でしかないことを実感していたい。身体だってそんなものなのだから、自分が生み出すものだってその程度の、吹けば飛ぶようなものだということを忘れないでいたい。この理由で献血も好きです。針が刺さって血が抜かれていくのを眺めていると、自分はこんな妙な色の液体が巡っているおかげで生きているだけのおかしな存在だと思えます。


別に自分や人間を悲観しているわけではありません。そんな虚しくて些細なものが、人の心に何かをもたらすことも確かにあると僕は信じています。ただ、モノだと思えば、自分をコントロールできる幅が広がる。あまり自分たちを特別な存在と思うのは危険でしょう。

2017年3月5日日曜日

失念と執筆のはざま

 昨日はブログの更新日だったのを忘れてしまいました。なので今日明日と久々に二日連続にしようと思っています。朝からドタバタしていたので、ついつい……。言い訳ですね。

 忙しかったのはあちこち出かけていたためです。済ましたい用事がたくさんあったのですよ。あさイチで病院に行って定期的にもらっている皮膚のクスリをもらって、車に給油。昼食は祖父母のところに顔を出したら改めて繁華街に出て来年度の手帳を買い、春服を見繕ったら、献血ルームにGO。血を抜かれる引き換えに休憩がてらの飲み物をもらったら、再出発してくたびれていた仕事用の靴を買い換えました。最後にシーズンらしくホワイトデーのお返しを手配してフィニッシュ。最後にフィニッシュって被っていますか?本当は新しい財布も見たかったんですが、時間切れでできませんでした。忙しさ自慢だと思われますかね。そんなこと考えるなら書かなきゃいいんですけど、もう書いてしまいました。

 今住んでいるところは少々街の中心から離れているので、ちょっといいものを買いに行こうと思うと足を伸ばさないといけません。手間なので、色々まとめて済まそうと思うのは普通でしょう。だから毎日思いついたらメモしておいて、行けた時にそれを見ながら全部済ませてしまいます。その結果上記のように列挙することになってしまうんですよね。 ただ、こういうことをしていると、脳が消費者のモードになってしまうのが難点です。落ち着いて文章を書くような体勢に自分をもっていけません。だから忘れてしまったんじゃないかと少し思っているんですが。かといってハンパなことをすると効率が悪くなるし。


なので、現状の対応策は早寝早起きです。早起きしてなるべく空いているうちに用件を済ませて、早寝してなるべく早くそういうモードをシャットダウンしてしまう。前にも書いた気がしますが、僕は朝型なので、生活スタイルにも合っていると感じます。でももっと効率をあげて、量を書かないと……。なにか他にいい方法があったら教えてください。

2017年3月2日木曜日

毎日体を動かします、エッサホイエッサホイ

僕が働いている会社では毎朝ラジオ体操をやります。第一です。この前に、朝起きた時、個人的に第二をやっています。フルコースですね。これに加えて帰宅後は筋トレをします。腕立て&腹筋&背筋&スクワット×50。大したことないって?それは言っちゃダメー。

 筋肉をつけるためとか、ダイエットをするためとかではなく、単に体を動かすためだけに動かしています。良い効果があると感じるからです。朝起きた時は目が覚めて、スッキリします。仕事前は、体の準備ができた気がして、やる気が出ます。労働後は、座り続けてこわばった体がほぐれるようで、スッキリします。重複してしまった。僕は比較的インドア派で、一日パソコンをやっても嫌な気分にはなりませんが、さすがに疲れます。これが軽い運動で癒せると、やはり自分は人間で、人間は動物であるという感覚を持ちます。体を動かして食料を確保するのが、動物の生存の最低条件ですから。体を動かさなくても食料をやすやすと得られてしまうというのは実はいびつな状況でしょう。

 別に体を動かさないストレス解消法だっていくらもあるとは思います。ゲームなんてまさにそうでしょう。火葬の自分を動かしているわけです。読書や映画なども悪くないのではないでしょうか。不自由な体から離れて、想像の世界、物語の世界で羽を伸ばせます。ただ個人的には、それが直接にストレス解消につながらなくても、体を動かそうという志向を時には持った方が良いと思います。今は仮想現実の技術も進歩しています。この体で生きている自分という感覚を忘れてしまう時がいつかくるのでは。どうでもいいですが、羽を伸ばすことがなんで体を休めることになるんでしょうね。人間には羽なんてないのに。実際に羽がある鳥なんかがリラックスして休もうと思ったら、巣で丸くなったりするのでは?脱線……。