2017年2月28日火曜日

ウーン、ヨユーがナイ

 イラスト募集告知の詳細を練っていたらこんな遅くになってしまいました。しかも結局告知できていないし。明日には公開します……。(震え声)

 時間がかかってしまっている原因は、ギャラと納期の設定の問題が大きいです。B5サイズのカラー絵を募集するつもりなのですが、リテイクも含めた作業時間をどのようにとらえるべきか、なかなか決めきれません。絵の評価なんて、できたものを見なければできない!という向きもあるかもしれませんが、今回は募集型なので、どこまでの水準の方が興味を示してくれるか分かりません。そういう時に、完成(予定)の作品のクオリティで報酬を設定するのは相当リスクがあると思います。保証がありませんから。

 だから時給制で考えようと思ったんですが、そうすると今度は、絵を描くのに必要な標準的な時間というのを考えないといけなくなってしまいます。時給にしても、おおむねの見込みが立たないと、必要な総額が決められません。一応自分の今までの経験=自分が小説を書くのにかかる時間と、周りの絵を描く人のコメントから考えて、リテイク時間を含めて15hとしようと思っています。(相談の時間は含まずに)どんなものかな……。


 ちょっと考えないといけないことが多いので、今日のブログは短めに。本当に今日考えていたことだけ書いてしまいましたね。読み物としても多少は価値のあるものにしたいと常々思っているんですが。前回第一章を公開してちょっとエネルギーが切れているんだと、優しく見守ってやってください。生暖かい眼~~。

2017年2月26日日曜日

オリジナル短編の第1章無料公開を始めました

 ゴフッ……。やった、やったぜ、アニキ。書き上げた、書き上げたんだ!……第一章を。
 ハイ。変なキャラなのでやめます。真面目にやります。

 名古屋コミティア50出品予定新作オリジナル短編小説「アリアを憎んでいる-Er hasst Arie-」第1章の無料公開をpixivにて開始しました!(クリックで作品へ飛びます)
 
前回に続いて:名古屋ティア申し込みました
http://gentotsukobin.blogspot.com/2017/02/blog-post_14.html
ゲントツ・コービン
 
 いやあ、長くかかりました。当初の予定では二週間前には公開している予定だったんですが、なかなか思うように執筆が進まず。余裕を持って、同時に厳格にスケジュール管理することの重要性を痛感です。

 上記のリンク元記事にも同じような書きましたが、この作品は男子高校生:覚徒(かくと)がヒロインの女子高生「アリア」と出会ったことから始まる物語です。覚徒を打ちのめしたアリアとは何者なのか?アリアを憎む覚徒の想いがどう変化するのか?といったところをキモにしていく予定です。約7500字で、すぐ読めてしまいますので、是非お試し頂き、少しでも楽しんで頂ければ幸いでございます。続きが気になったら名古屋ティアで本を買ってね(ゲス顔)。

 さて、この作品に関する告知をもう一つ。

 この作品の表紙・口絵を描いてくださる絵師様を募集致します!

 とはいえ、このブログ執筆時点ではまだ募集要項も完全には定められていないのですが……。現状ではすべてカラーで、B5の表紙絵1枚&口絵3枚を募集したいと思っています。納期とかギャラを精査しないといけないので、ちょっとすぐには決めて公開できず。近日中には定めて改めて募集させて頂きます。

 前述のとおり難航していた本作の執筆ですが、なんとか企画倒れには終わらずに済みそうです。とにかくバシバシ書き進めますので、応援よろしくお願い致します。夏コミのシュピーゲル二次創作もちゃんとやってるよ!

2017年2月24日金曜日

卵が先か鶏が先かみたいな

今週は忙しかったのでくたびれました。頭痛と肩こりがひどいです。熱が出たり、体が動かなかったりということはないんですが、疲れるといつもこうなんですよね。まあ、久々にきたんですが。子供の頃はすぐ発症(?)していました。頭が痛くて寝込むのがしょっちゅう。もちろん熱とかは出ず。幼い時はストレスと疲労の区別があまりつかないからでしょう。どちらも負担という意味では同じですから。

 大人になるとストレスが増えるものでしょうか?僕はあまりそうは思いません。ストレスの原因となる要素の総量は、子供も大人も同じくらいでは?少なくとも日本においては。我々は小学校から中・高、大学に進んで会社勤めを始めるまで、それぞれの段階で関わり合いになる人間の総数があまり変わりません。そしておおむねにおいて、ストレスというのは人とのかかわりから発生するものです。自分だけの理由で発生するストレスというのは少ないでしょう。自分から発生するストレスがないとは言いません。スポーツとかにあるのではないでしょうか。練習してもなかなかタイムがあがらないとか、うまくボールが投げられないとか……。それらだって、人からの言葉が悪化させることもあります。指導者の心ない一言とかね。


 いみじくも我らが冲方丁の「スプライトシュピーゲル」4巻において水無月くんが言っていた言葉が思い出されます――“それが人生、それが戦争ってね。戦うルールが違うだけで、おかしくなったり壊れたりする奴らの数は、実際、同じくらいなんじゃないかと僕は思うね”。なんだ、結局パクリかって?リスペクトですよリスペクト。() 真面目に言えば、冲方作品は昔から読み過ぎてるから、もう向こうが先で共感したのか、自分が思っていたものを言い当ててくれたのか分かりませぬ。

2017年2月23日木曜日

気持ちを集め・中へ

 集中するときは静かな方が好みです。わざわざ言うことでもない?普通のこと?人の話し声とか車の走行音とか、環境音があった方が良いという人も知っているので一応書きました。とはいっても、静かでも音があっても、本当に集中するまではそれなりの時間が必要でしょう。僕の場合はだいたい30分くらいかかります。それまでは周りが静かでもダメですね。結局動き回ったり、独り言を言ってしまったりして……。自分で音を出しているのだから本末転倒です。ま、周りがうるさければこれに加えてもう少し時間がかかるので、やはり静かな方が良いのは確かなのですが。

 そもそも集中しているときとはどんな状況でしょうか。何か一つのことだけをやっている、みたいなもの?たまに持ち出すゴルフの例で言えば、うまく当てる方法のことだけは考えているけど、うまく当てたいとは考えていない、みたいな。クリーンヒットさせるぞ!というような思いはモチベーションとしては大事ですけど、実際に行動するときはただの余計な考えですよね。そういえば、集中して無心になっている、とよく言いますが、やっているひとつのことだけについては考えているわけだから、厳密には「心が」「無い」わけではないでしょう。字面と合いませんね。今辞書を引いてみましたが、もとは分別がないとか、情緒を解さない、といった意味だったそうです。©広辞苑。


 そう考えると最近は集中を妨げるものが多すぎますね。娯楽増えたし、スマホは何でもかんでも通知を出してきます。自分で取捨選択して、一つに絞ろうという志が重要ということでしょう。そのためには思慮分別が欠かせないし、何に価値があるか感じ取る風流の心も必要。あれれ、無心を追い求めるためには無心でなくなる必要がある……。言葉遊びでした。

2017年2月20日月曜日

大連という街を知っているか?

 中国から帰ってきました。東北地方の大連という街に二泊三日で滞在したのですが、結論としては、僕には少々早い国でした。

まず言葉がペケでした。中国語は割と勉強していて、少しは通じるんじゃないかと思ったんですが、全然ダメでしたね……。やはり発音=ピンインがキビシイ。あと、下調べが不足していたのも悪かったように思います。直前まで忙しくて、ろくに荷造りもできていないようなありさまだったので、全然観光地をチェックしたりできなかったんですよね。そのせいで、ツアーだったのですが、連れていかれた場所がどこのどういう場所なのか全然イメージできなくて。面白かったし、勉強にはなったのですが、結構ストレスを感じてしまいました。これは僕がこういう人間だ、という話でしかないのですが、自分がどこにいるか分からないのがすごく嫌なんです。場所が分からなくても、そこに至った経路や理由が理解できていればまだいいんですが。今回はガイドさんにバスで連れていかれてしまったので、追いつけなかったんですよね。色々説明もしてくれましたが、なかなか全部は理解できず。ま結局、自分で先によく調べておかなかったのが悪い、という話になってしまうんですけど。

このせいで、というわけでもないかもしれませんが、友人に迷惑をかけてしまう場面もありました。そもそも今回の旅行に行こうと思った理由は、遼寧省の友人が休暇で故郷に帰るという話からでした。一緒に現地を回ろうということです。しかし2つの誤算があり。第一に、彼の家は遼寧省でも瀋陽だったのです。瀋陽―大連間、約400km、所要時間およそ4h。日本の感覚で、同じ省だったら1,2時間でたどり着けると思ってしまっていたため、落ち合う時間がかなり制約されてしまいました。友人本人は「フツーフツー」と笑っていましたが。第二に、友人がご両親を連れてきて、食事に招待してくれ(てしまっ)たのです。僕自身は落ち合ったら二人で軽く散策するくらいのつもりだったんですが、毛沢東も来たという北京ダック店に連れていってもらい、山盛りの料理とビール!僕はあまり強くないので少しずつ飲んでいたら、友人がご両親には聞こえないように「もっと吞んでくれないとあとで文句言われちゃう」と耳打ち。頑張ったのですが、結局気分が悪くなってしまい、ご両親にも心配されてしまうハメになってしまいました。


つらつらと書いてしまいましたが、要は僕が中国という国とその文化をよく分かっていなかったということです。修業しなおします(--;)

2017年2月18日土曜日

13億人の国にひとり


今日から月曜まで中国に旅行に行っています。なのでこのブログは予約投稿です。今までも時々内緒でやっていました。バラしてしまったぞ。なるべくリアルタイムで書きたいんですけどなかなか……。中国だとBloggerも使えないから余計に仕方がないのです。Google系は全部使えませんもんね。こういうことを知ると、やはり中国は言論の面で厭な部分のある国だと思い知らされます。

一方で、Googleばかり使っていることも少し気になってしまいます。僕のスマホはアンドロイドです。メモはGoogle keep、メールはGmail、音楽再生はGoogle play musicOSの提供会社ですから、ある程度は仕方ないかと思いますが、しょせんは一私企業ですもんね。いつ何に自分が使われるかわかったもんじゃありません。ま、そんなことを言いだしたら、パソコンだってwindowsばかりですけど。


このような状況での使用を自分を納得させるには、2つの考え方があると思います。ひとつは信じるということ。これだけ公共インフラと化した企業なら、自然に自覚をもって自律し、悪用したり失敗したりすることはないと考えるのです。もう一つの考え方は諦めるということ。これだけ日頃便利な思いをさせてもらっているのだから、多少自分がいいように使われても仕方ないと考える方向です。人間なのでこの二つの考え方の間を僕はうろうろしているわけですけど、どちらかと言えば後者の考え方が強いです。前者は我ながら楽観的と言えるでしょう。会社のトップが悪用しないように声をかけても、また会社方針としてそのようにしようとしても、現場で業務に携わる社員の一人一人が完全に同じ思いで行動してくれるとは思えないからです。出来心、という言葉もあります。また逆に、社員一人一人が自律しようとしていても、会社全体としては悪を為してしまうということもあるでしょう。Amazonはホントに社会を幸福にしているでしょうか。運送会社は貨物の急増で悲鳴をあげていますし、書店は何軒もつぶれました。話の飛躍?

2017年2月17日金曜日

調和していない「ハーモニー」

 アニメ映画「ハーモニー」を観ました。今更。先週観てきた「虐殺器官」が面白かったからです。ミーハーだという自覚はあります。「屍者の帝国」はちゃんと公開中に観たんですよ!
 
 でも結論から言ってしまうと、シリーズの他2作品に比べると「ハーモニー」はあまり良いと思いませんでした……。序列で言うと「虐殺器官」>「死者の帝国」>「ハーモニー」。実は僕にとっての原作の評価も同じ順なんですよね。ということで今日はどこが好みでなかったかを書こうと思います。単に初読の印象を超えられないっていう話かよ!と突っ込まれたらちょっと詰まってしまうんですが。ご愛敬。

※以下ネタバレ含みます。

 全般的に抱いた感想は「どこを目指しているか分からない」ということです。原作が目指していたのは、安全と平和のために他者との同一化を望む一方、個人としての欲望や揺らぎを捨てきれない人間の苦悩の表現だったと僕は思います。父と友人を殺された個人的な復讐のためにかつての同士ミァハとの決別を選ぶというトァンのキャラクターとストーリーラインは、自身の意思で選択をする人間の姿を書ききっていました。「何もかもが自明に選び取られることによって意識が消失する」という作中のアイデアは少々実感を持ちにくいものでした。なにせ我々は意識をもって作品を摂取しているわけですから。これによりエンタメとしては少々難のあるものになってしまっていましたが、それを鑑みてもこのストーリーラインなお説得力のある読後感を与えてくれていたと思います。

 しかし映画版において、トァンがミァハに銃を向ける際に叫んだ言葉は「私の好きだったミァハのままでいて」「愛してる」です。そして殺してしまう。もちろん人を愛するというのも立派な個人の想いです。でもそれで殺すでしょうか。意識がなくなるまで一緒にいれば良いでしょう。

 原作になかった同性愛的な描写が増やされたのも得心が行きません。「このおっぱいも、このあそこも…(略)」というミァハの台詞は原作にもあって、いかにも男から見た百合的会話だなぁと感じて僕は好きではなかったのですが、映像で実際に行為に及んでいる姿を見せられると、より萎えてしまいました。そんなウェットなもののために個人であろうとしていたのか?ミァハやトァン、ミァハの語った子供たちの生きづらさはそんなもので解決できるものだったのか?

 

 あまり説得力の無い文章を書いてしまいました。原作が手元にないのがイタイです。時間切れなのでこの辺で。精進します。

2017年2月14日火曜日

前回に続いて:名古屋ティア申し込みました

告知が引き続き失礼します。大体宣伝というのはあまり美しくないと思っているのですが、最低限ということでご容赦ください。Bloggerでこのブログをやっているのも、広告を少なくできるという観点から選びました。



 名古屋コミティア50申し込みました!

既視感のある構図・・・・・・()。上記サークルカットの通り、オリジナルの短編小説を出品します。「アリアを憎んでいる」という仮題で、4万字程度で絶賛執筆中です。絵を描いてくださる方が決まっていないので、C92と同じく文字ばかりのサークルカットになってしまいました。完成の暁には表紙絵と口絵は載せたい……、載せる……、載せます!(震え声)絵を描いてくれる人いないかなぁ(チラッチラッ

ジャンルとしてはラノベと文芸の中間くらいの感触です。サークルカットではぼかしましたが。ひとと向き合うため、って読み返すと少し恥ずかしいですね。男子高校生、永屋覚徒(かくと)を主人公に、彼が憎しみの矛先を向ける女の子『アリア』との交わりを描きます。覚徒がアリアを憎むようになったきっかけは。その憎しみはどこに向かうのか。アリアとはそもそも何者なのか。というようなところが読みどころになる予定です。なおアリアはきちんと美少女として描きます。公約です!

名古屋ティアには初参戦ですが、公式サイトを見る限りなかなかの数の参加者がいらっしゃるようです。今年から数年は、とにかく定期的に作品を生産して販売する、ということを自分に課そうと決めて、夏コミ共々申し込みました。多くの人の目に触れる。触れても手には取ってもらえない、なんてこともあるでしょうが、自分にできる最大限をこめて作品を出品することを誓います。応援よろしくお願い致します。

※名古屋コミティア50:4月30日(日) 11:00-@名古屋国際会議場イベントホール
 http://nagoya-comitia.daa.jp/

2017年2月12日日曜日

夏コミ申し込みました

 タイトルの通りです。たまにはきちんと宣伝をしようと思います。


 C92申し込みました!

相も変わらずシュピーゲルの二次創作小説をやります。内容は上記サークルカットを見て頂ければ一目瞭然でしょうが、作中で強大な敵として立ちはだかった特甲猟兵、陸王/秋水/剣の兄弟の過去を描く所存です。中でも作中描写の少ない剣を主人公として。昨年冬コミの企画段階で検討していた作品を4万字程度の短編小説に章と思っています。でもテスタメント3で剣の特甲が登場しちゃったから、当時よりちょっとやりにくくなってるんですよね。ヘタな設定作っちゃうと怒られるかもヒエエ。うーん、ま、まあ頑張ります。(震え声)

コミケ参加はしばらく続けようと思っていますが、たぶんずっとシュピーゲルでしょうね。シュピーゲルは僕にとって比較できるものがないほど重要な作品だと思っているので。周りに知っている人が全然いないし、同人で出している人も少ないというのも大きいと思います。完結が見えてきたからこそ応援したい。待っている人がいるということを伝えたいし、自分でも他の待ち人に何かしてあげたいと思うのです。もう少し早く応援を始めてあげるべきだった、と思わないと言ったらウソになりますが……。まだ当選するか分かりませんが、どうぞ応援よろしくお願い致します。

2017年2月10日金曜日

行列きらい

 並んでまで食べる価値のある料理はないと思っています。5分でさえ耐えられません。食事をただじっと並んで待って、注文するときもお互いにせかせかして、食べる時まで落ち着かない。それを想像すると、並ぶくらいならもう我慢してあとでまた来よう……と決めてしまいます。

 ひとりで食べるのも気にならないたちです。我が父が「メシを一人で食べるのが嫌いだ」と昔言っていて、子供心に信じられない!と思ったのを覚えています。イヤホン突っ込んで外でも眺めながら食べればオールオッケーだろうと。嫌なガキですね。ひとりで食事をするときはやはり自分で料理をするのが良いです。音楽をかけながらやればさらに良いでしょう。バランスの良い料理のセットを自分で作って、静かな部屋で良く味わって食べる。自分限定の穏やかな満足感がそこにはあります。

 別に友人と食べるのが好きでないというわけではありません。人と話しながらおいしいものを食べるというのは大事なことです。気持ちを共有できたという感覚を抱けるし、とても価値のある体験ができるからです。会社で食事をとる時は毎日色々な人と食べます。人が変わると話題も変わる。自分の世界になかった新しいことをそれだけで知れます。こんなに簡単で楽しいことはありません。ただ、いくら楽しくてもずっとは続けられないと思うだけです。


たとえば、お酒も交えて夕食を共にするような時でも、あまり飲まずに2時間くらいでさらりとお開きにするのが良い。鳥が静かに降り立って、あともなにも濁さずにまたいなくなるみたいに。僕はお酒に強くないから余計にそう思うのかもしれません。お酒を飲むと心が開けると言う人もいるかもしれませんが。僕の場合はお酒を飲んで話すと、だいたい後で言わなくていいことを言ってしまったと後悔するので。大人ですから、自分の全てをコントロールして生きていたいものです。

2017年2月8日水曜日

さて、自由という言葉を何度使った?

 ゴルフを始めた、という話を少し前に書きました。一か月ほど経って少し上手くなったようで、ささやかな達成感。週に一度、二時間ほど練習するだけなのですが、注意点を毎回メモして、次来るたびにきちんと思い出しながらやると、確かに改善が見られます。進歩している、ということが肉体的に分かるので、気持ちが良いです。良きにつけ悪きにつけ、結局人間は体の感覚に引っ張られてしまうのでしょう。一方で、前回書いたことを考えると、気持ちが体を定義することも確かにあると思う今日この頃。不可分に影響しあっているようです。身体からも感情からも、自由になるのは遠いですね。

 自由という言葉の語源はおのずからよる、のようです。みずからのもとにあるがままで落ち着く。ということは、自由でない状態とは、意図的に本来の道からずれた場所を歩いているということになるのではないでしょうか。人に歩かされるだけでなく、私が勘違いしていることもあるかもしれません。意思で決めたと思っていても、それは自由ではなく、ただの迷い道……。ああ恐ろしい。


 ヘンな抽象的なことを書いてしまいました。あえてぼかして読者の想像の余地を与えるのは自由の提供だけれど、単に分かりにくいだけなら不自由の押し付け。また、語りすぎるのも自由を削ってしまうと思います。インディーズバンドが出るライブやイベントに行くと、妙にMCが長いバンドを見かけることが多くなりました。そういうときはだいたい自分たちがどういうことを伝えたいか、という話をしているのだけれど、そのような意図は歌にこめてもらいたいと思います。聴いた人が曲から感じたメッセージと違っていたら、その人はまるで答えを間違ってしまったような気分になるのでは。まさに自由の妨げです。バンドマンも人間だから、言いたいことを100%分かってもらいたいと思ってしまうのでしょうけれど、どうせそんなことは無理だし。皆がそれぞれ好きな道を歩いて、たまにばったり出くわしたりするから楽しいのです。

2017年2月6日月曜日

病は気から、という言葉があって

タイトルのことわざは有名だと思います。語源を調べてみましたが特に見当たりませんでした。病気、に接続詞を足しただけなのでしょうか。学研出版「漢字源」によると、「病」という字は“からだが弾力を失い、ぴんとはって動けなくなること”を表しているそうです。そういう状態になる「気」が体に溜まっている状態が病気。これを言いかえただけなのかもしれません。

 友人が病気になったのでお見舞いに行ってきました。ウィダーと冷えピタを差し入れたらなかなかに喜んでくれたようです。以前僕も風邪をひいたときに友人がアクエリをくれたのですが、それがたいそう嬉しかったので、同じようにしてみました。だいぶ「気」が楽になった記憶があります。病院に行ったり、薬を飲むことは大事だともちろん思いますが、そういう「気」遣いが改善に導いてくれるのではないでしょうか。一方、他人の意思からでた言葉が我々の心を傷つけることもあります。いよいよ、毒にも薬にもなるものなのだ、という感じがします。同じく漢字源によると「薬」は植物の根をすりつぶしてつくったもの、さらには病根をつぶす薬草のことを表し、「毒」は常用すると害を及ぼす薬草エキスのことを表したそうです。根をすりつぶしたものも薬草のエキスもあまり変わらない気がするので、やはりこれらは表裏一体なのでしょう。

 うさんくさい奴は出て行け、という思いが今、一つの国から特定の人々を締め出そうとしています。そして同時に、そんなことは非道だ、という思いがそれに待ったをかけました。どちらも人間の想いが成し遂げたものです。どちらが毒で、どちらが薬なのか。個人的には後者が薬であってほしいと思っていますが、断言はできません。単なる対処療法の、解熱剤かもしれないし……。

ただ、自分自身が、それこそ毒にも薬にもならないような存在ではいたくないです。

2017年2月4日土曜日

不可逆の傾斜、まるでスキー場のような

 山奥にスキーに来ました。6年ぶりの場所です。ひなびた温泉街で、コンビニもないような場所なのですが、外国人が多い!それも流行りの(?)中国人など近所のアジアの方だけでなく、欧米の色々な国の方々もたくさん。

町並みも、6年前は昔ながらの日本人向け土産物屋ばかりだったのが様変わり。いかにもウエスタンな外装に“BAR”“STEAK”“COFFEE TO GO”の文字が踊るお店がいくつも目につくほど増えていました。ここはヨーロッパ?

泊まった宿のご主人にお話を伺ったところ、オーストラリアの資本家が随分昔に廃業した民宿を何件も安く買い取って、ツアーを企画しているとのこと。宿だけでなく日本への飛行機チケットからスキーのレンタルまで全部まとめてあっせんするそうです。豪快……。大きな資産のニオイがプンプンですね。お客も金持ちで、僕が到着した日にちょうど出ていったお客は、学生の身で30日連続滞在!していったとのことでした

とはいえ、日本でそういう光景を見たのは初めてだったので驚きましたが、冷静に考えると世界のどこでも起こっている事なのか、と思いました。去年カンボジアとウィーンに旅行で行きましたが、どちらも外国語による案内が万全。特に前者は顕著で、色々な言語を話すガイドさんをたくさん見かけました。聞けば、クメール語以外の言語がひとつ使えれば年収が倍になるそうで、熱意があるのも頷けます。

折しも、日本での外国人労働者数が百万人を超えたという報道もありました。好悪どちらの感情も起こるでしょうが、国外から多くの人がどんどん日本に来て、お金を動かすようになるという事実に向き合う心構えが誰しも必要になるでしょう。

2017年2月2日木曜日

ただの月並みな話

昨日はブログを開始して以来、初めて投稿をしませんでした。毎日はちょっとキツい、と感じたからです。日々やらないといけないことと毎日の投稿を済ませたら一日が終わってしまい、本来やるべき創作にあてられる時間が無くなってしまっていたので。一月が終わったのを節目に、今月からは隔日で書いていこうと思います。

 二日間ケベックの事件に関連して書きました。この事件はもう少しフォローしていこうと思っています。書いてきたこと以外にも気になるニュースを見つけたのでおいおい……。今日は仕切り直し初回ということからも、あえていつもの普通の話を書こうと思います。僕の好きなアーティスト、分島花音さんについて。まずは曲を聴きましょう。






分島さんは2008年から活動しているなかなかのベテランで、近年はアニメ『selector』シリーズのテーマ曲を連続して担当したことで話題になりました。この曲はひとつ前のアルバムのリードトラックで、タイアップ曲ではないのですが、分島さんの作品の中で僕が断トツに好きな曲です。詞と曲が猛烈にマッチしていると思うのですよ。《有限の中走っている 謳歌する暇もなく精一杯に》《今あるもの全て贅沢だ》などといった、ただ一概に前向きというわけではないことば。まるで目標に向かって走っているような、その目標にすがっているような。弦楽器とピアノを活かしたストリングスアレンジがそこに切なさを加え、より引き立てていると思います。

selector』とのタイアップ曲は3曲あり、どれもこの『ツキナミ』と同様にアップテンポ×弦楽器アレンジを活かした、とても格好良い曲です。中でも僕のおすすめは二期OPである『world’s end, girls rondo』!先日紹介した『self』を演奏しているバンドであるla la larksのメンバー、江口亮さんがアレンジャーなのです。弦楽器とピアノはもちろんのこと『self』と同じく電子音が効いていて、別の方向にアガれます。『ツキナミ』のアレンジは江口さんじゃないんですが()。お試しあれ!