2017年2月8日水曜日

さて、自由という言葉を何度使った?

 ゴルフを始めた、という話を少し前に書きました。一か月ほど経って少し上手くなったようで、ささやかな達成感。週に一度、二時間ほど練習するだけなのですが、注意点を毎回メモして、次来るたびにきちんと思い出しながらやると、確かに改善が見られます。進歩している、ということが肉体的に分かるので、気持ちが良いです。良きにつけ悪きにつけ、結局人間は体の感覚に引っ張られてしまうのでしょう。一方で、前回書いたことを考えると、気持ちが体を定義することも確かにあると思う今日この頃。不可分に影響しあっているようです。身体からも感情からも、自由になるのは遠いですね。

 自由という言葉の語源はおのずからよる、のようです。みずからのもとにあるがままで落ち着く。ということは、自由でない状態とは、意図的に本来の道からずれた場所を歩いているということになるのではないでしょうか。人に歩かされるだけでなく、私が勘違いしていることもあるかもしれません。意思で決めたと思っていても、それは自由ではなく、ただの迷い道……。ああ恐ろしい。


 ヘンな抽象的なことを書いてしまいました。あえてぼかして読者の想像の余地を与えるのは自由の提供だけれど、単に分かりにくいだけなら不自由の押し付け。また、語りすぎるのも自由を削ってしまうと思います。インディーズバンドが出るライブやイベントに行くと、妙にMCが長いバンドを見かけることが多くなりました。そういうときはだいたい自分たちがどういうことを伝えたいか、という話をしているのだけれど、そのような意図は歌にこめてもらいたいと思います。聴いた人が曲から感じたメッセージと違っていたら、その人はまるで答えを間違ってしまったような気分になるのでは。まさに自由の妨げです。バンドマンも人間だから、言いたいことを100%分かってもらいたいと思ってしまうのでしょうけれど、どうせそんなことは無理だし。皆がそれぞれ好きな道を歩いて、たまにばったり出くわしたりするから楽しいのです。

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