2017年3月30日木曜日

ただの言い訳、ってね

 お金をお金たらしめるものはなんでしょうか。ものの本によると、貨幣とは①ほとんどどんなものとも交換できて②価値の尺度となり③いつでもどこでもその価値が減じないものだそうです。(晝間文彦、新世社『金融論 第三版』p16,p17より、要約)そして大前提として、一般に「これはそういう機能があるものだ」と信じられていることが必要だそうです。前述の本では「社会的な信認」と表現されています。つまりお金は、皆が「これには価値がある」と信じているからこそお金たり得ているのです。

 なぜこんな話を長々としたかというと、今日ちょっとした失敗をしてしまったからです。見慣れない外国の貨幣をたくさん扱う業務をしたのですが、大事な会社のお金なのに乱雑に扱ってしまい、怒られてしまいました。詳細は恥ずかしいので言いませんが、自分でもちょっと反省するくらいの良くない扱い方でした。同じ額の日本円を扱っていたら、絶対そんな扱いはしなかったでしょう。

のちほどつらつら、どうしてそんなことをしてしまったのかを考えてみて、上の話を思い出したのです。自分はそのお金たちをお金だと思えていなかったのでないかと。確かにそれらはいわゆるお札やコインの形をしていて、見た目は貨幣と言えたでしょう。しかし日本のものとは似てもにつきませんでした。日本とは全然違う素材でつくられていたり、落書きがされていたり、ひどく汚れていたり……。結局のところ、僕がそれを日本のお金と同じ価値のあるものだと信じられたのは、ネットでそのお金もどきたちと日本円の交換レートを見て、日本円で考えた時、ようやくだったのです。


 理由が何であれ、仕事でお金をきちんと扱えないのは大変な問題です。猛省しなくてはなりません。ただ、少し思いついたのは、あなたのそのお金は本当に価値があって、存在しているものなのか、というフレーズです。預金通帳を開くと数字の羅列があるでしょう。それは本当にあなたのものである、価値のあるお金ですか?銀行がつぶれたら引き出せない、返ってこない。そんなことはないと思っているから預けているんでしょうけど、なぜ銀行はなくならないと信じられるんでしょう?オチはありません。

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