2017年3月6日月曜日

骨髄バンクに口座開設(違う)

昨日、土曜に出かけた時に献血に行ったという話を書きましたが、この時骨髄バンクにも一緒に登録しました。前からやろうと思っていたからです。最初に思い立った時には、検眼登録も行いました。マイナでしょうか。死んだら網膜を白内障の人に寄付するというものです。このほかにも、献体登録をしようと思っています。これはもう少し有名でしょう。登録すると、死後に病院での医学生の実習解剖用に身体を使ってもらえます。こんなにたくさんやっているのは最近のことです。どうせやるなら徹底的に、というのが僕のモットーなので、やり始めたら良いキリを見つけられなくなってしまいました。

こんなことに僕のような若者が関心を持つことは、人からは不審に思われるかもしれません。多くの場合、こういうのをやりたがるのはお年寄りではないでしょうか。他の言い方をすれば、死期を感じた人。別に老人が常に自分の寿命のことを考えているとは思っていません。ただ、死が近いことを悟ったら、自分の身体を有効に使ってほしいと思うのではないか、という推測です。過去の悪事の罪滅ぼしになるとか思ってしまったりして。いよいよ決めつけ。

僕自身もそんなに高い志をもって登録しているわけではありません。僕は単に、自分の身体がモノであるということを確かめたいのです。他人の身体に入っても活動可能な、代替できる部品の集合体でしかないことを実感していたい。身体だってそんなものなのだから、自分が生み出すものだってその程度の、吹けば飛ぶようなものだということを忘れないでいたい。この理由で献血も好きです。針が刺さって血が抜かれていくのを眺めていると、自分はこんな妙な色の液体が巡っているおかげで生きているだけのおかしな存在だと思えます。


別に自分や人間を悲観しているわけではありません。そんな虚しくて些細なものが、人の心に何かをもたらすことも確かにあると僕は信じています。ただ、モノだと思えば、自分をコントロールできる幅が広がる。あまり自分たちを特別な存在と思うのは危険でしょう。

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