2017年1月11日水曜日

”わたしは花を見たかった”

 最近本を読めていないです。でもこの「~できていない」という表現が好きではありません。目が覚めていて手が動かせれば本を手に取って内容を理解するくらいのことはできます。だから正確には他のことを優先して読んでいないのです!……自分で言っていて辛くなってきました。テスタメント3は一周しただけだし、冬コミで頂いたご本も少しずつしか進められていません。ふがいない。

 とはいえ、普通の生活においては本というのはその程度の存在にしかなれないのかもしれません。最近は世の中に短い文章ばかりがあふれて、まとまった文章を読むのが辛くなる環境になっているし。

 手に入れにくいのも大きな難点ではないかと思います。ジャンルが膨大にあるから、書店で目当ての分野を探しだすのさえ一苦労。入荷さえなかったりしますもんね。テスタメント3を必ず発売日にゲットしようと思って大きな書店に予約しに行ったら「配本予定がないからムリ」と追い返された苦い思い出がよみがえります。そもそも書店自体も減っていますし。しかし逆に、だからこそたまに買って読み進めた本の何気ない一文が心に残るということがあると思います。

 これは太古の昔から同じだったのではないかと思います。というのは、昔は紙に文字を書いて本とする、という行為自体がとても大変な作業だったからです。印刷が実用化されるまでは全部手で写していたわけですからね。その流通量の少なさたるや!現代とは逆の方向で、手に入れるのが困難だったことでしょう。その労苦を乗り越えて手にし、読み込んだ文章は、当時の読者の心に何を残したのでしょうか。

 前置きが長くなってしまいました。冲方丁さんの「はなとゆめ」を取り上げようと思います。「天地明察」や「光圀伝」ほどは話題になりませんでしたが、この二作で時代小説を書く力を十分に蓄えた冲方さんが、その実力を活かして執筆した良作です。初の新聞連載小説で、しかも地方紙限定だったので、僕は近所の大学図書館に通って読んでいました。(笑)さて、そのどこが良いかは……字数がなくなってしまったので明日以降にします。別に常に区切りをつけなくても、人生は続くし、愛しいと思えるものはそこにあります。(におわす)

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