2017年1月26日木曜日

睡眠学習で気づいたら話せるようになりたい人生だった

 最近中国語の勉強を再開しています。とはいえ昔やっていたことなんて言っていなかったということを今思い出しました。大学の第二外国語で専攻していたのです。でも遅々として覚えられなかったなあ。だから今もまだやっているんです。発音と単語が全然頭に入ってこない。しかし僕にはやらざるを得ない理由がある、ゴゴゴゴ。来月中国旅行に行くからだ!(バァーン)ま、ガイドさんもいるし、向こうの友達に案内もしてもらうから、全然マストではないのですけれど。そもそもそれじゃあそんなに大したことないな。擬音をつけるほどのことでもないや。目標設定と姿勢の問題です。

 実は中国語をやっているときの悩みがあります。日本語でうまく話せなくなるのです。言葉が出てこなくて日本語で言いかえようとすると、なぜか英語が出てきてしまう。ちょっと待って、と言おうとしてJust a minute…とかうっかり言っちゃったり。バイリンガルか!エセ外国人みたいになっちゃうのでやめたいんですが。少なくとも僕にとっては、中国語を話す時と英語を話す時に使う脳の部位が同じなのでしょう。そうでなければ原因が思いつきません。得意な人は英語で話しているときは英語で考えるとたまに聞きますが、それも一緒ですかね。おいおい、遠回しな自慢か~?


 しかし、この英語で考えてしまう、という状態はなかなか興味深いと思います。その瞬間人格は変わっているのではないかと思うからです。僕は英語で話しているとなんとなくいつもより身振りが大きくなって、言うこともポジティブになります。はじめに言葉ありき、というフレーズがマンガなんかで使われますが(もとは聖書の言葉です)、人間精神は言葉によって縛られているのかもしれません。日本語と外国語で使う脳の部位が違うなら、そこに収納された人格も別のものが引き出されているのか、と妄想します。爬虫類の脳とか言いますもんね。ファフナーか。ああっ、ああっ、気分がいい!(マジキチスマイル)

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