2017年1月22日日曜日

心を無にしたい、という一言(じゃあ書くな)


 あまり考えない、というのは作業を進める上で重要な点だと思います。一度その作業に取り組んだらいかにそれを効率的に実行するかだけに注力する。もちろんそのためには、事前によくやり方を検討しておくこと、つまり考えておくことが必要になりますが。一度やり始めたら、集中してそのことしか頭に浮かべないのが肝要でしょう。
 
 僕なんかはイマイチこれが苦手です。事前にやり方を考えたりするのは好きで、むしろ考え込んでしまって作業に取り掛かれないなんてこともしばしば。でも、せっかくよく練って、その通りにやろうとしても、ついつい他ごとを考えてしまうのです。このブログを書く時にもいつも直面しています。書き方は決めていて、その日見聞きしたことから紹介したいものや、思ったことをそのまま書く、という風にしているのですが。いざ書き出そうとすると他のことが気になる。今日触れるこの歌手の次のライブはいつかな→あっ、対バン相手のこのグループ、まだ活動しているのか→タイアップのドラマがあるぞ、面白そうだな……という具合。程度の差こそあれ、どなたもこういう経験はありませんか。
 
人間に対する機会の強みのひとつはここだと思います。プログラムで言われた通りのことを、言われた通りに完璧に実行する。何回やらせても飽きて能率が落ちたりもしない。機械への批判(苦情?)として、融通が利かない、なんてよく言われるような気がしますが、その欠点を鑑みてもこの利点は素晴らしい。1万回のよくあることにきちんと対応してくれれば、1回の特例にうまく対応できないくらい、気にするようなことではないでしょう。人間だって完璧ではないのですから、その人間様が造ったものに完璧を求めるのは高望みというもの。


とはいえ。だからといって、効率的にやろう、という意志を失ってはいけないとは思っています。最近は特にそういう姿勢が重要視される時代。定期的に一定の質の結果を出さないと、誰も見向きしてくれなくなってしまうのではないか、という恐怖があるのです。大げさかな。ネットで他の人の意見でも見てみるか。どうせ覚えていられないけど。お、ツイッタのトレンドワードに面白そうなのがあるな。ああ、また……。

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